『オタク用語辞典 大限界』は何がよくないのか アークナイツ界隈用語から考える

 発表されるやいなや悪い意味でネットの話題となった『オタク用語辞典 大限界』だが、この度ようやく書籍が発売されたため購入してみた。取り上げられている項目に「アークナイツ」「原神」があったためである。いろいろスマホゲーがある中で、原神は若い女性にも人気が高いしそこはよくわかる。だが、アークナイツをあえてセレクトしてくるのが非常に興味深かったためだ。なお筆者のアークナイツプレイ歴は2年ちょっと。星6はコンプしているが自力で使い方を見出だすことは少なく、危機契約は動画を見て18等級クリアする程度のヌルいドクターである。
 書籍についてのスタンスは昔書いた通りで、
 ・記録として残すのは悪くない
 ・ただこれを三省堂が出す時点で「正しいもの」と誤解されるのは避けたい
 という程度。それを踏まえた上で一読してみたが「これは……」という気分になったので、とりあえずざっと問題点をまとめてみたい。全部にツッコミを入れているときりがないのでまずは概要から。

 

全項目に用例がついている

 オタク用語の使い方はこうですよ、と言いたいのかもしれないが、各項目すべてに用例がついている。その用例がなんというか、とてもつらい感じのオタクを想起させてくれるのだ。
「カジキの毒舌お嬢様言葉で一生罵られたい人生だった」
「サメちゃん好きすぎて、いっそシーボーンになってサメちゃんに始末されたいまである(真顔)」
など。「おk」とか若干古めの表記が存在しているかと思えば「(デジャブ)」とかセルフツッコミを入れるタイプの文言まで幅広くご用意されている。これのせいで78Pから103Pまでの30P弱を読むだけでだいぶ体力が削られる。

用語の説明がない

 そのくせ肝心な用語の説明がない。アークナイツというゲームにおいて「アーツ」「源石」「鉱石病」という単語は非常に重要だと思うのだが、その辺の説明が一切ない。その割にゲーム内に登場する「源石錐」の項目がしれっとあったり、説明に「合成玉(オランダム)」とあるがこれが何なのか説明していなかったりする。この手の「ある言葉の意味を説明するために、説明が必要な語彙を持ってくる」という項目が非常に多い。Wikiだとその単語にリンクを貼っておけば良いのだが、紙の辞書ではそうはいかない。そのため、そうはならないように項目を工夫しなければいけないのだがそれらの工夫がまったくなされていない。言葉の意味は分からなくとも、ページを何度も前後したり、説明が書いてない項目と説明が書いてある項目の差異について編集者が確認することはできたのではないか? 三省堂の編集は一体何の仕事をしていたのか。

ネット用語の抜き書き

 1/3強の用語がアークナイツ攻略 Wiki(通称白Wiki)の俗語集に記載されているものと共通である。全項目152中62。用語集と共通のものが6項目確認された。これについては「このコミュニティに属している人間がこの用語を使う」ということで共通項が多いのも無理はないと思うのだが、この俗語集や用語集に明確な説明があるものを自分の言葉で説明しようとしてわけがわからないことになっていることが多い。あるいは、文字数を短くしようとして説明を省いているか独自解釈しているか、だ。このあたりについては後の「サンプルとしてのツッコミ」にて詳細を記載する。

キャラクターや団体の偏り

 アークナイツには多くのキャラクターや団体が存在しているが、項目として存在しているものが非常に少なくかつ偏っている。シルバーアッシュだけで3つぐらい項目があり、無理おじはあるのにカジミエーシュ絡みの記述が一切ない。アビサルハンターの面々は何らかの形で言及されていたりする上、海とエーギルについてはきっちり項目がある。一方ライン生命についての記述はあるのにキャラクターの項目が一切なかったりという珍しい事例もある。この界隈用語集を作った人はシルバーアッシュとアビサルハンターが好きなんだろうな、というのは伝わってくる。現在公開されていない試し読みの執筆担当から推察するに、同人版の初稿は2022年頃と思われる。それにもかかわらず2023年9月に行われたモンハンコラボから話題になった「ノイヤト」という項目が追記されているのも執筆者のこだわりだろう。

さまざまな部分への配慮のなさ。

 FE用語で"女性にあるまじき"という慣用表現を使ったり、カップリングの項目で受けを女性役と説明したりするという指摘があるオタク用語辞典。アークナイツについても「都合のいい女」という項目があり、グラベルの愛称と記載されている。「役にしか立たない女」という記載も含めて俗語集の再編集感ある項目である。俗語集の方だと途中に「言葉としては負のイメージが付き纏うものだが、実際の所は全くの逆」と書かれており、さらには最後に「この言葉自体はある種ジェンダー問題に触れるセンシティブな言葉なので、扱う際は十分に注意しよう」とまであるのだ。この注意書きとも言える部分をすべて削り落とした意図が知りたいところ。
 そういう意味では「感染者」という項目も読んでいて不快感を覚えた。「作中で差別的な意味合いを持って使われることが多い」とあるにもかかわらず用例が「もういっそ全員で感染者になろうぜ」というのはどういう意図があるのか。アニメだとわかりやすいが子供を助けようと手を差し伸べても「病気が伝染る!」とばかりに払い除けられるのがゲーム内の感染者の扱いである。それを見てなおこのような用例を書いてしまう意図についてはまじめに筆者に問うてみたい。

サンプルとしてのツッコミ

 最後になるが、書見台を買ったということでネットに見開き2Pを掲載した際、多くの反応があったためその部分に関していろいろツッコミを入れてみようと思う。これだけ文章書いたんで「引用の範囲」ということで許されたい。

アップルパイ

1.エクシア(キャラクターの1人)のスキル発動ボイスの1つ 2.エクシア自身。

 俗語集には「★6オペレーター、エクシアのボイスの一つ。転じて彼女の代名詞としてエクシア本人を指す事もある」とある。俗語集はWikiなので「エクシア」にリンクがあり、キャラクターについても把握できる。さらに「エクシアはスキルを発動する際に「アップルパイ!」と発言することがあるが~」とそうなった理由の説明が続いている。だが、用語辞典の記載にはそれはないので理解しづらい。何よりWikiはゲームをプレイしている人が見に来る場所なので「スキルとはなんぞや」という説明は不要なのだ。しかしこの書籍はゲームに詳しい人だけが読者とは限らない。それ故「スキルって何? 発動って何? 何も知らない人がこれ読んでわかると思ったの?」と詰問したくなってしまう。強いて書き換えるなら「武器を使って相手を攻撃している際ときどき『アップルパイ!』と叫ぶので転じてエクシア自身を指すことになった。何がアップルパイなのかは不明」ぐらいでよいのではないだろうか。これがアークナイツの項目2つ目なので、アークナイツ用語を知らない人向けに説明する気がまったくないことが早々にわかる。さらに言うと用例は「公開求人でアップルパイ来た!」なのだが、公開求人は別のページにあるのにそっちを見よという参照の矢印が抜けている。編集者が仕事をしていない。

異格

新たな名前、レアリティ(希少性)、職種職分で実装された既出オペレーター。

 同一職種の異格もある。後「既出」は「すでに出された」「すでに提示された」という意味であり、すでに存在するキャラクターの別バージョンという意味では少し異なるように思う。既出と既存の違いをスルーしている編集者が仕事をしていない。さらに言うと「オペレーター」とはなんぞやという説明が一切ない。白Wikiの俗語集だと「アークナイツ内での既存キャラクターの別バージョンを指す呼称」なので大変シンプルでわかりやすい。

イベリア(ゲーム内の国家)の外に広がる海。海底にはかつて繁栄していたエーギル(エーギルの記事を参照)という都市があり、すべてのエーギル(種族)のルーツとなっている。「海の怪物」と呼ばれる存在が牛耳っており、イベリア関連のイベントでは彼らと戦うことになる。厄介な敵しかいないため、ドクター(プレイヤー)からは毛嫌いされている。2023年9月現在、まだ断片的な情報しか出回っていないため「ヤバい生物がうじゃうじゃいるやべーところ」ぐらいの認識でよし。

 アークナイツ内のエーギルは国家の名前でもあり種族でもあるのだが、海底にあるあれは「エーギルという都市」ではなく「エーギルの都市」である。なお、ドクターについては別に項目があるのにそっちを見よという参照の矢印が抜けている。編集者が仕事をしていない。前段にややこしい説明を書いておいて後段で「これぐらいの認識でよし」と記載があるのだが、それなら最初から説明しないほうがいいのではと無粋なツッコミを入れたくなる。このあたりの書きようもいかにもオタク的なセルフツッコミ文章ではあるのだが。用例は「海のあとに海やって、また海!? 気が狂いそう……新人ドクターさんたちも頑張ってね……」とあるが、おそらく狂人号→潮汐の下復刻→危機契約#9の流れと思われる。2022年11月からアニメ1期が始まっていたこともあり、難易度が高いイベントの時期に新人が入ってくるのでは、ということで話題になっていた。このあたりの説明が入っていないのは厳しい。

エーギル

ゲーム内に登場する先民(エーシェンツ)と呼ばれる種族の1つ。海洋生物がモチーフとなっている。彼らの祖先はイベリア(ゲーム内の国家)の外にある広がる海(海の記事を参照)の底にある都市エーギルで暮らしていたという。2。海底都市エーギル。海の底に存在したが「海の怪物」の脅威にさらされ住民のほとんどは陸に上がった。

 先民(エーシェンツ)という単語が突然出てきて説明がどこにも記載されていない。そしてここにも「海底都市エーギル」という根拠不明の記載がある。ライン生命について別項目で「マッドサイエンティストとも呼べる人物ばかりが残り、一部の研究員の離職を招いている」と断言したりしている点については「そこはあなたの解釈なんですね」で終わるのだが、海底都市エーギルは明らかに読み違えているように思う。なお見てわかる通り先の「海」とこの項目の「エーギル」で循環参照状態になっている。メチャメチャややこしいので俺が編集者なら「この項目全部参照なしで書き直せないなら書くのやめましょう」っていう。

S2

スキル2。星3以上のオペレーターが昇進1になったときに取得する。

「星3以上のオペレーター」とあるが2つ目のスキルは「星4以上のオペレーターが昇進1になったとき」取得できるスキルである。

さいごに

 以上、2Pだけ見てもツッコミどころが満載である。 
 ただ、何度も言うがこれが「大学生が出したアークナイツの俺用語集」であれば俺は多分ここまで意地の悪いツッコミはしていない。「ああ、この筆者からすればこういう解釈なんだね」で終わりである。だがこれは商業出版であり、大学の准教授と三省堂の編集者が目を通し、OKを出したシロモノだ。その結果できあがったのがこれかよ、としか言いようがない。せめてもう少しまじめに仕事してくれんか。2Pの数項目の間だけでも「これ文章を扱う人間の仕事か?」となってしまった。何度も言うが学生に罪はない。これをそのまま世に出してしまった大人の責任である。もうこの本は世に出てしまったので、担当編集者は大人として、若い子の文章をそのままお出しして楽に飯を食おうとしていた生き物である自覚を持って生きてほしい。それがおまえの飯代の一部を担った人間からのお願いだ。

大怪獣のあとしまつ年末SP ~今年の汚れ今年のうちに~

 おそらく2022年、悪い方の話題作としては間違いなくナンバーワンではなかろうかと思われる映画『大怪獣のあとしまつ』。 色々あってウォッチパーティに誘われて見ることになった。モバクソの知見と特撮オタとしての知見を買われたとあっては乗らずにはいられない。流石に公開当時「コロナのリスクを背負ってクソ映画がクソかどうか確かめに行くのはちょっと……」と思っていただけによい機会だとも思ったのである。ユアストーリーやアニゴジ三部作といった数々のクソ映画を映画館で見て来た身としては気になっていたのは事実。さて、どれぐらいのクソ度合いなのか。なお、筆者はネタバレとして映画のオチを知っている状態で映画を見ている。

 結論から言うと、今までのクソ映画新記録を更新するレベルでひどかった。ユアストーリーはネタバレを知った状態でなお大ダメージを与えてくるクソっぷりだったが、こいつはネタバレのところにたどり着くまでの過程がひたすらつまらないのだ。作中滑るギャグと下ネタが延々と挟み込まれる割に物語の展開は遅く、非常に退屈。とは言え最後にスカッとする一発逆転が来るわけでもないのだが。

 映画のあらすじは、タイトル通り「怪獣の死体をどうやって始末するかで右往左往する政府の偉い人たちとそれを受けた特務部隊の青年がいかにして怪獣を処分するか」である。臭い以外は安全だったはずの怪獣の死体を処分すると謎の菌糸が各地に溢れ出してしまう、という危機的状況をどう処理するかというお話。

 問題は、これらが怪獣映画の愛あるパロディではなく、上っ面だけをなぞって好きな人間を煽ってくるようにしか見えない作品であることだ。この辺りは怪獣映画に限らず、劇中で戯画的に役立たずとして描かれる政府の面々すべてそうである。各大臣たちの描き方に限らず、災害対策をしている人々や福島の現状、でたらめな言語を発してやることなすことに文句をつけてくる「隣国」の人々。作中で下ネタが延々と続くのだが、それらの下品さよりもこれらの上っ面をなぞったような作りに心底イラッとさせられた。そういうところを指摘すると「いやいや何本気になってるんですか」って鼻で笑いそうな連中だし、実際作り手はそう言っている。

www.oricon.co.jp

かのヒッチコック監督が、演出に対する不満をぶつけてくるイングリット・バーグマンに言った言葉が好きです。「たかが映画じゃないか」

「たかが映画」というのはあれぐらいの映画を作れる人間が言うから通じるのであって、そもそも意味が通じない映画を作る人間にはこれを口にする資格はない。細かいところを上げるとキリがないが、この映画で一番ダメな部分はこのインタビューにある「正体を明かせない主人公」が正体を明かせない理由がさっぱりわからないところである。しょうもない下ネタや風刺のつもりのドタバタ劇をぶっこ抜いてもそこは厳しい。結局最初に怪獣を倒したのも主人公が変身した結果なのだが、その辺りの謎が一切明かされない。「デウス・エクス・マキナだから説明の必要がない」と言いたいのかもしれないが、それなら諸々詰め込んできた半端な前振りはなんだったのか。二時間の長尺をダラダラとした作劇で浪費するために詰め物をしてごまかしたようにしか思えない。エンドロール後のオチも一種の洒落、と自分で言ってしまうのがあまりにも悲しい。後から「こういうことなんすよ」「まじめに捉えて怒らないでくださいよ」「もっと笑ってくださいよ」って説明しないといけない映画作って恥ずかしくないのかこのプロデューサーたちは。

 なお俳優さんたちはそんなしょうもない作品を大変素晴らしい演技で彩っておられるのだが、いくら材料が良くても料理人が全部フライパンで真っ黒に焦がした挙げ句新聞紙で包んでお出しして来るのではどうしようもない。

 すでに伝説級のクソ映画として『デビルマン』が存在しているが、見もせずにクソクソいう人はまずはデビルマンを見てほしい。その上で『大怪獣のあとしまつ』も見て、どっちがどのようにクソか、クソの違いとは、などといろいろ考えてみても良いかもしれない。

「君と一緒に」の同人誌が読んでみたいと思った話

思うところがあったのでちょっと書いてみた。

改めて自己紹介を書いておくと

・サービス終了したゲームを収集している。

・それらに限らずいろいろなソーシャルゲームスマホゲーを紹介した原稿を集めてまとめた通称「モバクソ本」を2012年から2018年まで紙ベースで、2022年まで電子書籍で頒布していた。

・それがきっかけでねとらぼで2016年からサービス終了した/するゲームや最新のゲームに関するコラムを書かせていただいている。

www.itmedia.co.jp

そんな立場の人間が

note.com


を拝見してどう思ったかというお話。

内容が気になる

 14Pの本で文章が3P、ゲストが4P。この内容で「君と一緒に」がどういうゲームか、なぜサービス終了から10年以上経って「君と一緒に」の期間限定ヒロインを出そうと思ったのか。その思いをそのページ数で伝えているのだろうか。そういうところが気になった。

今のインターネットで知っている人は私だけじゃないかと思う

 とご本人が書いておられるが、恥ずかしながら現在手元にあるサービス終了ゲームリスト1653本の中にこのゲームは入っていなかった。今回調べてはじめてその存在を知り、リストに記載した次第である。そんなゲームの本をなぜ? というのがとても気になるので、ぜひそこを語っていただければと思う。はじめて同人誌を作るに至った決意、このコロナ禍でコミケに参加しようとした理由、4人のゲストにイラストを頼む時どう頼んだのか。正直「1冊目を作るまで」だけでもう1冊本ができるように思える。と言うか俺がその本欲しい。

Twitterで今まで「君と一緒に」について語っていたことはあるか

「ほう、普段あの人がよく言っている古いサービス終了したゲームの話か!」となればもう少し皆興味を持ってくれるかもしれない。俺は10年間サービス終了ゲームの話を続けた結果フォロワーが「怪しいさん! ○○が死んだ!」と伝えてくれるTLを構成できている。それに限らず趣味の話をすると「だと思った」と言われるほどわかりやすい趣味を開陳しているので、そのようなTLを構築できているかと言うのは大きいと思った。

私が今回の本を作ろうと思ったのは、「俺の嫁の魅力を知ってほしい」と思ったからだ。

 なぜそれが10年後になったのか、がとても気になっているので是非その辺りについて伝えてくれる第二弾を作る、あるいはそれらについてこのnoteで語り続けてくれれば幸いだと思う。「君と一緒に」について検索してもどんなゲーム化の情報はほとんど出て来ない。これだけ思い入れがあるのならきっとどんなゲームなのか。その期間限定イベントはどんなものだったのか。サービス終了を聞いたときの気持ちはなどなど色々あると思うので、是非それを語ってほしい。キャラクターの魅力を語る前に、その土台がどういうものだったか、まずその説明からしてもらえると皆それがどういう作品なのかわかりやすいと思うのだ。そのうえで、10年分の思い入れがどのようなものか、それを語って見て欲しい。

 人に何かを教えられるほどえらい人間でもないが、サービス終了ゲームについて語る人を見つけた喜びのあまり勢い余ってしまったので。そもそも元々の本を拝読していなので、その時点でどうこう言うのはマナー違反かなと思うのだが。

追記:本の内容が公開されたので拝読しました。やっぱりゲームに対する説明とそのゲーム、そのキャラに対する思い入れを語るパートが欲しい。そして。

www.pixiv.net

CGの公開については引用の範囲内であれば誰も文句は言わなかったと思うだけに残念でならない。後、だれも知らないようなゲームがこういう形で知られてしまい、このような意見が作者氏に届いてしまったこと、それもまた残念でならない。

シン・ウルトラマン感想

 一言で言えば「次も期待してるで庵野くん」になる。
 正直に言うと「庵野は脚本と総監修で樋口監督」ということと、公開前に「こっちは庵野が監督です」で発表された「シン・仮面ライダー」の特報のこだわりを見たあとだったのでちょっと期待値を下げていたのだが、素晴らしい出来だった。
世間の人が何を求めていたかは分からないが、「庵野秀明が手がけるウルトラマン」としてこれ以上ないものを見せてくれたように思う。

 嬉しかったもの1点目は「マニアックなネタの山」である。おそらく自分では気づいていないものが山ほどあるのだろうが、例えば外星人ザラブが変身したにせウルトラマンにチョップを決めたウルトラマンが一瞬痛そうにしている。これは元の「遊星から来た兄弟」でのウルトラマンとにせウルトラマンの戦いをそのままに再現されている。それ以外にも、ウルトラマンが腰を軸にして前後に回転する謎のアクションも完全再現。今思えば「なんでそこで回るんだよ」「なんでそこで回ると事態が解決するんだよ」みたいなツッコミを入れたくなるのだが、そこについてもちゃんと再現してくれている。また、ウルトラQのロゴからウルトラマンのロゴが現れるというオープニングをシンゴジラのロゴからシンウルトラマンのロゴが現れるようにアレンジした直後、ウルトラQの怪獣たちがシン風にアレンジされて登場する流れは大変素晴らしい。特にゴジラを改造したゴメスがそのままシンゴジラを改造したデザインとして現れていたりする辺りのマニア心のつつきかたが素晴らしい。Qの禍威獣として現れたパゴス>ネロンガガボラという「きぐるみの再利用」は実際にCGの再利用として省力化にも使われている上、劇中でも「なぜ似ているか」という理由は設定としてちゃんと開示される辺りの整合性の取り方も面白い。

 嬉しかったもの2点目はシンならではのアレンジ。高く右腕を掲げる変身シーンは有名だが、変身するときにウルトラマンの拳で変身者である神永を握り込むようなシークエンスからスタートする変身シーンは大変美しく心を奪われた。そしてこれは大勢の人が心奪われているが、外星人メフィラスの人間体として登場する山本耕史。役者の雰囲気があまりにも「口が上手くて胡散臭い宇宙人」にマッチしており、劇中で度々口にするフレーズも相まって大変印象に残る。そしてこれはマニアックなネタともかぶるのだが、最後に現れるのがゾフィーではなくゾーフィで、しかも「光の星からの使者」として現れるのに「人類は滅ぼした方がいい」と判断して兵器としてゼットンを持ってくるという流れ。当時の児童誌の誤情報で「ゼットンを操る宇宙人がゾーフィ」と表記されているものがあるのだが、そのネタを引っ張ってきた上で「光の星は必ずしも人類の味方ではない」というところを描くところは素晴らしいアレンジ。そして「天体制圧用最終兵器ゼットン」といういかにもエヴァとかにでてきそうな仰々しい名前でゾーフィに呼び出されたゼットンが空に浮かぶ姿は『巨神兵東京に現わる』の冒頭シーンを彷彿とさせる。また、そのゼットンが「一兆度の火球を打ち出す」という荒唐無稽な子供向けの設定がもっともらしく拾われていることも嬉しかった。そして、それを知った禍特対の技術担当、滝が「なんでもウルトラマンに頼めばいい」と凹む辺りは原作「小さな英雄」のイデ隊員を彷彿とさせるところも良い。

 とまあ、褒めどころがだいたい「自分のオタク知識にガッチリハマって嬉しかった」という話になるので、前提知識がない人やそこまで思い入れがない人の評価が下がるのはやむなしかな、と思う。例えば「今ウルトラマン現役でいろいろやってるんだから」という意見はあるかもしれないが、シン・ウルトラマンは「往年のウルトラマンを今の技術と庵野風味のアレンジでどう見せてくれるか」という評価軸になってしまうので「それはそれ、これはこれ」という話になる。特に最新のウルトラマンが『ウルトラマントリガー』という『ウルトラマンティガ』を根底においた作品なので余計に「過去作のファンだったけど新作にはがっかりだった」という身としては「こっちは俺好みに作ってくれた!」となって評価は上がる。

 ただ全てにおいて絶賛ポイントしかないわけではなく、劇中に「これセクハラでは?」と思わされるシーンがいくつかあったのは首を傾げた。パンフ等を読むと庵野氏のアイデアっぽい。「そんなの気にするやつが細かすぎる」という向きもあるだろうが、こういうところは作品の評価とは関係ないところで横からちょっかいを出してくる人間が喜々としていじるところである。脇はガードしておいて損はない、と思うのは俺だけだろうか。

 あと気になったのは総集編っぽく見えてしまう展開の速さや間を省略したと思える展開。昔のウルトラマン映画は総集編っぽいものが多かったということもあり、意図的にそうしているのかと思ってしまっていた。「作者の人そこまで考えてないと思うよ」案件ではなかったが、デザインワークスに寄ると「そう見えないようにした」とは言うが、残念ながらその努力があまり実っているようには思えなかった。ただ、「各話の完全版が見たい!」と好印象なとらえ方にはなってしまう。
 最後になるが「次も期待してるで庵野くん」はシン・仮面ライダーへの期待はもちろん、今回のシン・ウルトラマンが企画として3部作構成になっていることにある。
 シン・ウルトラマン
 続・シン・ウルトラマン
 シン・ウルトラセブン
 という企画案がデザインワークスに記載されており、真ん中の「続」が庵野監督らしいのだ。
 わかってるで庵野くん。
 帰ってきたウルトラマンやりたいんやろ。
 期待してるでホンマ。

今やってるゲームについてメモ

最近開始

アークナイツ:設定といいキャラクターといい物語といいなんで俺このゲームずっとプレイしてなかったんだろうと疑問に思っている。強いて言うならタワーディフェンスはそんな好きじゃないけど流石に序盤で挫折するほど厳しい難易度はまだ来てないというか先人の知恵は山ほどある。

ほぼ毎日ログインして遊んでいる

ウマ娘:いろいろな意味で今のメイン やってることが最適化されつつあり1日30分でゲームやった気分になるのがキモ。
ブルアカ:シナリオやキャラの方向性から何故やっているのかと言われて考えてみたがこっちもフルオートでちょっといじるだけでゲームやった気分になるのは大きい。モモトークに代表される「みんな先生のことがだ~いすき」な話や擬音をカッコ書きで入れてしまうテキストはかなり辛いが「銀行を襲うよ!」に代表されるスラップスティックなノリはなかなか他に代えがたい。
ガルパ:イベントシナリオを読むため必死でついていってる感が凄いゲーム。ただイベント読み終えて配布メンバーを受け取ればやらなくていいのでログインしたりしなかったり。石の配り方がちょっとマシになったと思ったらすぐ今まで通りのドケチになった。また、手を変え品を変え有償ガチャで絞ろうとする姿勢が最近特にひどい。覚醒絵なしの誕生日ガチャは手抜きとしか思えない。
ラストオリジン:世界設定とキャラが大好物。ハーレムものなのは間違いないがハーレムの運営がどれだけ大変か、ハーレムの構成員同士が仲が悪いとどうなるかまできっちり描いているのが素晴らしいが、現在開発と運営がグダグダ極まりない状態になっており今後が本当に不安で課金すらしなくなった。片方のエンジンが火を吹いた状態で飛んでる飛行機。

たまにログインして遊ぶ

グラブルガチャピン様の時期は間違いなくログインしてガチャを回している。他は気になったイベントが来ると遊んでいる程度。他のゲームが暇になるといじっている事が多い。古戦場は行ったり行かなかったり。

ログイン勢

FGO:メインストーリー実装まではログイン勢化してると思われる。どうも最近イベントシナリオのノリが合わない。なんでここんとこ立て続けにわかりやすいオタクネタばっかやってんの。

不定期にガチャだけ回す

デレステ&ミリシタ:まあ気が向いたらたまに遊びますって感じ。双方ともに放置プレイが可能だが流石に音ゲーをずっと続けるのは……となる。
スタリラ:好きなコンテンツだっただけにガチャのえげつなさとPvP嗜好がしんどくて途中で離脱してしまった。初期はテキストもかなり微妙だったし。ただアニメスタッフが関わるようになってからのメインストーリーは大変面白い。
マギレコ:テキストを読むのがいろいろな意味で大変だったという初期の印象が拭えない。ごく個人的にだがこのゲームのガチャとびっくりするぐらい相性が悪い。
メガテンD2:一応第一部完みたいなとこまではやってる。仲魔の強化システムなどは既存のメガテンシリーズに負けず劣らずの面白さだと思うのだが、外見もキャラも魅力のない仲間NPCたちがどうにもやる気を削ぐ。

ログインすらしなくなったが消してない

メギド:メインシナリオの高難易度化についていけず完全に脱落した。それ以前にファンコミュニティと自分の思考/嗜好の乖離もメチャメチャ大きくてそこも辛く、コミュニティから距離をおいたら界隈の騒ぎに全く気づかなくなった自分がいた。
ポプマス:スキマ時間に遊ぶゲームと言われてもスキマ時間がない。
スクスタ:真面目にやってたの虹ヶ咲のアニメやってるときだけだった気がする。ただ3ヶ月真面目にやって未だにゲームシステムがビタイチ理解できておらず雰囲気で遊んでいたゲームではある。メインストーリーがIFシナリオになってしまっていたところは初手からソリが合わなかった、とアニメでうまいことアレンジされていたのを見て思った。
ひぐらし命:ブルアカが同系統のゲームなのがデカイ。
プロセカ&D4DJ&ヒプマイARB音ゲー複数並行は無理。特にガルパやっててプロセカ並行は無理。
セブスト:なんかもう支えなくても大丈夫だな……ってなっている。
アズレン:一応データはまだあるはず、というレベルでログインしてない。
ツイステ:ゴーストマリッジってイベントは大変おもしろかったがどうも続かなかった。

ウマ娘の歴史メモ

2016年3月26日 AnimeJapan2016のサイゲームズブースで新プロジェクト発表会。プロモーションムービー公開。

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2017年3月25日 トレーラー第1弾&アニメ制作決定発表

www.youtube.com


2017年7月1日 トレーラー第2弾で2018年リリースと発表

www.youtube.com2017年12月16日 ティザービジュアル公開。

umamusume.jp

2018年3月20日 ティザービジュアル第2弾公開。

umamusume.jp

2018年3月25日 事前登録開始。

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2018年4月 アニメ1期放映開始。

anime-umamusume.jp

2018年6月 二次創作関係例のお話。

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2018年7月2日 2018年冬リリース予定と発表&トレーラー第3弾公開。

www.youtube.com

2018年12月15日 「さらなるクオリティ向上」のため延期を発表&うまよんアニメ化決定。

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2019年5月8日 プロデューサー退任のお知らせ。

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2019年12月26日 2020年予定と発表。ついでにうまよんアニメ進捗も。

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2020年6月11日 シンデレラグレイ連載開始

2020年7月 アニメうまよん放映開始

2020年9月22日 アニメ2期放映決定

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2020年12月19日 ゲームリリース日が2021年2月24日と発表。

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2020年1月 アニメ2期放映開始

2020年2月24日 予定通りリリース

宇佐見りん「推し、燃ゆ」を推す

 しばらく前からネットで見るようになった「極大感情」とか「クソデカ感情」という表現がどうにも苦手だった。「語彙力がない」という名目での内輪での遊びならともかく、出版社の人間や作家がそれをやり始めると、たとえその遊びに乗っかっているのだとしても「お前らの仕事はなんだ」という気分になっていたからだ。プロにはその豊富な表現力をもって好きなものがどれくらい素晴らしいか、その感情は何なのかについて語ってほしい。

 そう思っていたところに現れたのが、今回『文藝』の2020年秋季号に掲載されていた宇佐見りんの「推し、燃ゆ」である。主人公は16歳の女性。男性アイドルを追いかけていて、そのアイドルについて語るためのブログを運営している。追いかけ方にも色々あるが主人公は「出演したメディアを追いかけまくる」タイプで、具体的にはラジオに出た推しの喋りをブログで書き起こしたりしている。いるいるこういう人。そんな主人公が推しを「推し」だと認識した瞬間の描写がすごい。Twitter辺りだと「語彙力~!」とか「全人類〇〇くんの舞台を見て……」というテンプレでごまかしてしまいそうなその衝撃を、2ページにわたってきっちりと書き上げていく。この緻密な描写で既にこの子がどれくらい推しにドハマりしているかがわかろうというものだ。

 筆者の言葉を尽くしたかのように描かれるこの緻密な描写は、推しに対する思い入れにだけ適用されるわけではない。主人公が抱えている生きづらさ、というよりは学習障害的なものについてもきっちりと描かれていく。幼いころ姉と一緒にお風呂に入ってて自分だけ1から100まで数えられない、とか例示の仕方が具体的なのだ。

 ただ、そんな生きづらさを抱える主人公だが「人生つらいから推しに逃げて現実逃避している」ようには見えないし、主人公は逃避しているつもりは毛頭ない。作中で
「逃避でも依存でもない、推しは私の背骨だ」
と語っている通りである。人間が生きていくために背骨に逃避するか? 背骨に依存するか? でも背骨がなければまっすぐ立てないし歩けないのだ。ただ、背骨だってまっすぐ背筋を伸ばして歩くには力が必要だ。そのために彼女はそんな障害を抱えながらも必死でバイトしてCDを買い込んで推しに投資する。そんなバイト生活もつらいしんどいではなく「推しのための行為」であり、ブログを更新するのも「推しのための行為」である。自分が生きるために背骨を補強する。そんな行為だ。そして、推しの尊さとは関係なく彼女のキッツい人生は続いていく。母親はキレるし姉はそんな母親にビビってるし単身赴任の父親はたまに帰ってきたと思ったら味方になってくれるでもない。家を追い出され死んだ祖母の家で一人暮らしをしながら、どうしても片付けられない汚い部屋の中で推しを追いかけていく行為。それが尊いものとして描かれるわけでもなく、醜悪なものとして描かれるわけでもない。そのニュートラルさが素晴らしい。

 そんな彼女の物語がどこに帰着するか、あえてネタバレはしないのでよろしければ読んでいただきたい。「それでも、生きていかざるを得ない」という『踊るダメ人間』の最後のフレーズを思い出させるその結末を見た後、もう一度最初から読みたくなるはずだから。

 強いて言うならブログの文章が女子高生としては綺麗すぎませんか、というぐらい綺麗な文章であるところが気になったのだが、小説書いてるのが20歳の女性という時点でそのイチャモンもどこかへ消えていくのだった。