大怪獣のあとしまつ年末SP ~今年の汚れ今年のうちに~

 おそらく2022年、悪い方の話題作としては間違いなくナンバーワンではなかろうかと思われる映画『大怪獣のあとしまつ』。 色々あってウォッチパーティに誘われて見ることになった。モバクソの知見と特撮オタとしての知見を買われたとあっては乗らずにはいられない。流石に公開当時「コロナのリスクを背負ってクソ映画がクソかどうか確かめに行くのはちょっと……」と思っていただけによい機会だとも思ったのである。ユアストーリーやアニゴジ三部作といった数々のクソ映画を映画館で見て来た身としては気になっていたのは事実。さて、どれぐらいのクソ度合いなのか。なお、筆者はネタバレとして映画のオチを知っている状態で映画を見ている。

 結論から言うと、今までのクソ映画新記録を更新するレベルでひどかった。ユアストーリーはネタバレを知った状態でなお大ダメージを与えてくるクソっぷりだったが、こいつはネタバレのところにたどり着くまでの過程がひたすらつまらないのだ。作中滑るギャグと下ネタが延々と挟み込まれる割に物語の展開は遅く、非常に退屈。とは言え最後にスカッとする一発逆転が来るわけでもないのだが。

 映画のあらすじは、タイトル通り「怪獣の死体をどうやって始末するかで右往左往する政府の偉い人たちとそれを受けた特務部隊の青年がいかにして怪獣を処分するか」である。臭い以外は安全だったはずの怪獣の死体を処分すると謎の菌糸が各地に溢れ出してしまう、という危機的状況をどう処理するかというお話。

 問題は、これらが怪獣映画の愛あるパロディではなく、上っ面だけをなぞって好きな人間を煽ってくるようにしか見えない作品であることだ。この辺りは怪獣映画に限らず、劇中で戯画的に役立たずとして描かれる政府の面々すべてそうである。各大臣たちの描き方に限らず、災害対策をしている人々や福島の現状、でたらめな言語を発してやることなすことに文句をつけてくる「隣国」の人々。作中で下ネタが延々と続くのだが、それらの下品さよりもこれらの上っ面をなぞったような作りに心底イラッとさせられた。そういうところを指摘すると「いやいや何本気になってるんですか」って鼻で笑いそうな連中だし、実際作り手はそう言っている。

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かのヒッチコック監督が、演出に対する不満をぶつけてくるイングリット・バーグマンに言った言葉が好きです。「たかが映画じゃないか」

「たかが映画」というのはあれぐらいの映画を作れる人間が言うから通じるのであって、そもそも意味が通じない映画を作る人間にはこれを口にする資格はない。細かいところを上げるとキリがないが、この映画で一番ダメな部分はこのインタビューにある「正体を明かせない主人公」が正体を明かせない理由がさっぱりわからないところである。しょうもない下ネタや風刺のつもりのドタバタ劇をぶっこ抜いてもそこは厳しい。結局最初に怪獣を倒したのも主人公が変身した結果なのだが、その辺りの謎が一切明かされない。「デウス・エクス・マキナだから説明の必要がない」と言いたいのかもしれないが、それなら諸々詰め込んできた半端な前振りはなんだったのか。二時間の長尺をダラダラとした作劇で浪費するために詰め物をしてごまかしたようにしか思えない。エンドロール後のオチも一種の洒落、と自分で言ってしまうのがあまりにも悲しい。後から「こういうことなんすよ」「まじめに捉えて怒らないでくださいよ」「もっと笑ってくださいよ」って説明しないといけない映画作って恥ずかしくないのかこのプロデューサーたちは。

 なお俳優さんたちはそんなしょうもない作品を大変素晴らしい演技で彩っておられるのだが、いくら材料が良くても料理人が全部フライパンで真っ黒に焦がした挙げ句新聞紙で包んでお出しして来るのではどうしようもない。

 すでに伝説級のクソ映画として『デビルマン』が存在しているが、見もせずにクソクソいう人はまずはデビルマンを見てほしい。その上で『大怪獣のあとしまつ』も見て、どっちがどのようにクソか、クソの違いとは、などといろいろ考えてみても良いかもしれない。