スコルベノトへの評価に感じていた違和感がすっと溶けた話

 メギド72で開催中のイベント『カカオの森の黒い犬』に登場し、先月末のサバトで実装された新メギド、スコルベノトくん。男の娘というわかりやすい個性を持ちながらもそれだけでは済まないキャラクター性はさすがメギド72、と感心させられるものがあった。
 その感心させられた彼のパーソナリティを評するに当たり、現実に当てはめて思考する人がいたのが印象的であったとともに、それに違和感を感じていたのだ。
 戦いを嫌い常に戦闘に出ない彼が戦闘社会であるメギドラルで爪弾きにされたりするのは割と普通じゃないの? と思ってしまったのだ。また、そのパーソナリティから仲間の後ろに隠れ、挙げ句「さっき押したよね?」とか言われてしまう性格を前に、同情心はわかなかった。で、そんな事を考えているうちに見つけたのがこれである。

 あの世界に「ゴブリンを殺すことは悪ではないのか?」というものさしを持ち込むことに強烈な違和感を感じたのだ。それは『ゴブリンスレイヤー』世界の外のものさしであり、あの世界のものさしではない。「もし○○だったら」という思考実験にも限度というものがあろう。その「外の世界のものさし」という思想が、自分がスコルベノトくんの評価に対して感じていた違和感にピタリと当てはまったのである。気弱な性格を擁護するのはいい。だが、それを擁護するのに現実の「性格と職場が一致していないかわいそうな人」みたいな話をするのはどうなのか。この「ファンタジー世界に現実の倫理観や規範意識を持ってくる」という行為、メギドは意図的にそれをやっているようにも思える。アモンの生々しい虐待描写などはそれに近いのではないだろうか。それに、そんな意識がなければ魔獅子イベントのときに京アニの放火事件に触れたりはしないのではないか。そんな気がしてならないのである。なおこの傾向がそのような展開が好きなユーザーが多いからリアルと重ね合わせる方向へ舵を切ったのか、リアルと重ね合わせがちなユーザーが多いからお話をそういう方向に持っていってるのかは謎である。相互作用でそうなってる気がしなくもない。